• 主に長崎県、佐賀県を中心に元刑事のキャリアを活かし行政書士&災害危機管理に取り組んでいます。

ご来光と日本人の心

 私は、早朝のウォーキングを日課としています。朝6時に自宅を出発し、郡川の遊歩道を往復する約1時間のコースです。遊歩道には桜並木があり、2週間前までは見事な桜が見られたのですが、1週間前から遠山の金さんのような桜吹雪が舞い始め、今は全て散ってしまいました。

 4月19日午前6時10分頃の出来事です。多良山系の稜線から朝日が昇ってきました。早朝ウォーキングをする人はちらほらいるのですが、その中で前から来る一人の70歳代の男性が、急に立ち止まり、帽子をとって直立不動となり、そのご来光に対して深々と2回頭を下げたのです。こんな光景は元日ぐらいしか見たことがなかったので、ちょっとびっくりしました。

 そのとき私は、「もしかしたらこの人は、現下のコロナ禍を憂い、早い収束と安寧の日が訪れるのを願っているのでは・・・」と勝手な想像をしてしまいました。そして、その人が立ち去った後、つい私も真似をしてご来光に頭を下げました。同じようなことをしたのはやっぱり八百万の神々を信仰する日本人なんでしょうね。まぶしい朝日を神々しく思うと同時に願いを込める自分がいるんです。
 そういえば、私は釣りをするのですが、仕掛けを投入する前に「えべっさん」と願掛けするのも「恵比寿様」に対する信仰心があるからです。
 ちなみに「バツ(罰)」と「バチ(罰)」の違いわかりますか。バツは人から与えられるもの、バチは神から与えられるものです。バツは西洋的な考え方で、バチは八百万の神々を信仰する日本独特のものです。よく川にオシッコしたら、バチが当たると言われますよね。「お天道様が見ているよ。」という言葉も日本人らしい信仰心の現れなんです。

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