年の瀬が押し迫ると悩むことがある。今年もどうしようかと悩みながら、結局は踏ん切りがつかず、今、年賀状の作成にとりかかっている。一方では、12月に入り、2人の友人から賀状じまいの通知が届いた。うち1人の通知はラインだった。
賀状じまいを考えている人は一定数いるようだ。近年は特に多いらしい。先日、友人と賀状じまいについて話をした際、その友人が勤務する会社では、賀状じまいを考えている人が増え、その通知をランで済ませることが多いという。賀状じまいの理由は、ある年齢を区切りとする、面倒臭い、ハガキの値上げ、SNSの簡便さに切り替えなどがあり、これも時代の流れだと受け止めざるを得ない。
年賀状は平安時代から始まったとされている。貴族が、手紙で年始の挨拶をしたのが最も古いらしく、この頃から世話になった方や親族への年始回りが広まったとされている。現在の年賀状の形になったのは、明治6年に官製はがきが登場したのがきっかけのようだ。
年賀状を出すのは、大切な方や親族への年始回りの代行だと言えなくもない。遠方でなかなか会えない人に、年1回、挨拶と感謝の気持ちを伝える年賀状は、やはり受け取る側としては嬉しいものがある。
だからこそ、賀状じまいに悩んでしまう。現役のときは枚数も相当な数に上っていた。ところが、定年退職とともに年々賀状も減っていき、今では数十枚になってしまった。本来の賀状じまいというのは、親しい間柄での遣り取りをどうするかということだろう。
長年会ってない方でも、正月に来た年賀状を見てしまうと、その人の顔が浮かんでしまう。こちらから賀状じまいの一筆を添えようかと考えてみたが、それも気が引ける。いっそのことSNSの便利さに走ってしまおうかと思ってもみたが、古い人間の性が出てしまう。これが賀状じまいに踏ん切りがつけられない理由だ。
そうであるならば、本当の賀状じまいは肉体的・精神的に支障が出たときだと諦めるしかないようだ。大切な人には出し続けようと決めた。いつになるかわからないが、賀状じまいのときが来たら、その旨一筆添え、最後の賀状を出そうと思っている。ラインでの賀状じまいはどうしても抵抗を感じてしまう。