• 主に長崎県、佐賀県を中心に元刑事のキャリアを活かし行政書士&災害危機管理に取り組んでいます。

東日本大震災を振り返り(13年)

東日本大震災から13年の歳月が流れた。13年前の今日、離島の警察署にいたが、あのとき、同僚から「テレビを点けてみろ」と言われ、そこに流れていた映像に、どこの世界の映像だろうかと我が目を疑ったのを鮮明に覚えている。

それから数日後、新たな所属に異動となり、それに伴い、部下を東北に派遣する業務に従事した。部下は、交替で出動していたが、帰ってきた部下から現地の状況を伺うと、あまりにも過酷な現状に、自然の脅威を覚えずにはいられなかった。

半年後、部下の激励と災害対応の研修を兼ね、東北に行った。福島の原発事故現場をはじめ、被災県の様々な現場を視察し、人間は、自然に生かされているのだということを改めて思い知らされた。自然に対し、人間は脆いものだということ、そしてどんなに科学が発達しようとも、自然に対してエゴや自惚れを持つことが如何に愚かなことかを痛感させられた。

と同時に、被災された方々の精神力の強さには感心させられた。東北人の特徴かもしれないが、打ちひしがれた中で、歯を食いしばり、前向きに生きようとする現地の人々の力強さを感じずにはいられなかった。

一方、災害対応に当たった警察サイドからも一言申し上げておきたい。発災時の対応について、被災県警と協議を行ったが、大規模災害の場合、初動対応では組織が機能しないこと、そのため、如何に現場の警察官の判断力、行動力が問われるかということだった。これは、長崎大水害、雲仙普賢岳噴火災害を経験した筆者も感じるところではある。

避難誘導に当たり、現場の警察官が多数犠牲となり、また家族が行方不明であるにもかかわらず、一睡もせずに災害対応に当たった警察官も数多くいた。原発が爆発し、放射能の怖さも顧みず、近くの福祉施設の避難誘導に当たった者も多数いた。

それが公務員の宿命であり、任務であると言われればそのとおりである。これは、自衛隊や消防にも言えることだが、人の生命・身体の安全を守るため、自らの尊い命を犠牲にし、そして家族を犠牲にし、任務に当たった人々がいたことも忘れてはならないだろう。

東日本大震災は、千年に一度の震災だという専門家の見解ではあったが、果たしてそうだろうか。遠い過去のことは誰も知らないし、どこまでそれを証明できるかもわからない。あくまでも推測であろう。だから、これから先数百年はこんな大震災は起こらないだろうと思うのはお門違いだ。

今日は、犠牲になられた方のご冥福をお祈りするとともに、災害は、いつ、どこで発生するかわからないことを肝に銘じ、まずは自分の命は自分で守ることに思いを馳せ、今一度、災害について考えてみたい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です