• 主に長崎県、佐賀県を中心に元刑事のキャリアを活かし行政書士&災害危機管理に取り組んでいます。

メディアリテラシー

メディアリテラシーとは、テレビや新聞、インターネット、その他さまざまなメディアを介して得られる情報から、適切な情報を選択して活用できる能力をいうとされている。

最近は、テレビや新聞などの既存メディアのほか、雑誌やSNSなどの多種多様な媒体から発信される情報は膨大となり、しかも発信源によって全く異なる見解、意見が唱えられ、その中には真偽不明の情報も多数含まれているため、受け手側としては、これらの情報を鵜吞みにせずに何が真実かをしっかりと見極める能力が必要になってくる。

公企業や団体、その他の法人や個人にとって、情報は大切なもの。方向性や取組方針等を決定する上においても、自己決定権においても、正しい情報に接することが大前提となってくる。

ところが、真偽不明情報やフェイク情報にも拘らず、それを吟味もせずに正しいものと信じてしまうと、盲目的になってしまう恐れがある。情報が氾濫している社会だからこそ、何が真実なのか、その真偽を自ら見極める姿勢が必須だ。

刑事のときは犯罪捜査に没頭した。事件解決のために情報取集と証拠集めに奔走した。犯罪捜査ーそれは真実の追及でもある。犯罪捜査とは、一つ一つの証拠を吟味し、その証拠に基づいて何が事実かを見極めていく作業でもある。

「事実の認定は証拠による(刑事訴訟法317条)」。この条文では、事実を認定するには客観的証拠によらなければならないとする刑事裁判の大前提を謳っている。しかも、この場合の証拠というのは、証拠能力があって適式な証拠調べを経た証拠を意味している。

証拠というのは、何も犯人に関する証拠ばかりではない。被害そのものも証拠で証明する必要がある。それだけ事実認定には厳格さが求められるということだ。

それでは、情報が氾濫している現代社会の中で、どうやって情報の真偽を見極めるか。難しいところでもあるが、私の場合、客観性があるかどうかでその真偽を判断している。つまり、最初に疑いを持つことーその情報には証拠があるのか、裏付けができるのか、そういう視点を持つということである。

現役時代、捜査をかく乱するために偽情報を流す輩もいた。そうした場合、あらゆる角度から情報を探っていくと、点と点や点と線がつながらないことが多い。偽情報には必ず綻びが出るもの。情報の糸を手繰っていけば、逆に人の悪意が見え隠れしているということがある。

注意したいのは、既存メディアだからといって真実とは限らないということ。最近では、公共放送のNHKが捏造番組を制作したということが問題になり、謝罪したことがあった。受信料から成り立っているNHKでさえもーである。

本来、テレビや新聞などのメディアは国民の知る権利に奉仕しなければならないはずだ。国民の知る権利を支えるのは真実の情報に限るのに、どうも最近のメディアが流す情報を観ると、疑わしい限りである。

情報を見極める刑事の目から観ると、メディアが流している情報は、ある意図に沿って視聴者を誘導しているように見えてしまう。対立する意見があるならば、それを同等に俎上に載せなければならないのに、一方の意見だけをたれ流す、いわゆる偏向報道だ。

だからこそ、メディアリテラシーが求められることになる。情報の真偽は客観性があるかどうかを見極めることだ。既存メディアの情報が真実かどうか、それは他の媒体を調べ、異なる情報と見比べてみることーそれが原則である。

具体的に言えば、素直な心で観ることーそれが真偽を見極める秘訣である。どちらが妥当性があるか、どちらが合理的か、どちらが信用性があるか、素直な心で情報を読み解くことによって真実が見えてくる。

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