世の中にはこんな凄い人(僧侶)がいた
つい最近、ユーチューブを見て驚いたことがあります。世の中にはこんな凄い人がいたんだという驚きです。知っている方からすれば、「今頃知ったの?」と言われるかもしれませんが、私にはこれまで知る機会がありませんでした。
たまたまその方が講演をされているのが目に止まり、あまりにも壮絶な体験をした方の話に大変な感銘を受け、是非生の話を聞いてみたいと思いました。
その方は、過去1300年の歴史の中で、まだ2人しか成し遂げていない命がけの苦行を行ったうちの一人です。まだ知らない方は、是非ご覧になってみてはいかがでしょうか。その人の名は、「慈眼寺住職(大阿闍梨)塩沼亮潤」という方です。
その方を簡単に紹介すると、19歳のときに奈良県吉野の金峯山寺に出家したのち、人間の想像を遥かに超える数々の荒行を行った方です。23歳のときに「大峯千日回峰行」を始め、9年かけて達成、またその1年後には9日間の四無行を達成、その6年後には八千枚大護摩供を達成された方です。
まず、「大峯千日回峰行」というのは、奈良県吉野山にある金峯山寺蔵王堂から片道24km先にある山上ケ岳(標高1719m)上にある大峯山寺堂まで、往復48kmの山道を16時間かけて毎日ただひたすら歩き続ける修行です。毎年、5月3日から9月3日までの4か月間を1年の行の期間と定め、9年の歳月をかけて行う千日行です。
毎日午後11時30分に起床し、滝行で身を清めて午前0時30分に白装束になって夜の山に入り、勤行をしながらひたすら歩き続けます。持参するのはおにぎり2個と500mlの水だけです。山頂に到着するのは午前8時30分、帰堂するのは午後3時30分。下山して掃除、洗濯、翌日の用意など身の回りのことを全て自分で行い、睡眠時間4時間半でまた行に臨みます。
この行を続けると、1か月で栄養不足のために爪がぼろぼろと割れ、3か月目に入ると血尿が出て、下痢が襲い、生死をさまようようになります。いくら意識不明の状態になっても足を前に進めなければなりません。どんな状況になっても一度この行に入ると、決して途中でやめることは許されません。万一、途中で行を辞めざるを得なくなったならば、自ら短刀で腹を切り、死をもって行を終えなければならないという厳しい掟があります。
氷点下であろうが、灼熱の暑さであろうが、嵐であろうが、崖崩れがあろうが、獣から襲われようが、毎日毎日、命がけで前に進むしかない行をやり遂げています。
「四無行」とは、断食、断水、不眠、不臥を9日間続ける行です。要するに食べず、飲まず、寝ず、横にならずの4つがないということで四無行と言われます。
大変危険な行であるため、無事に生きて行を終えることができるかどうかわからず、そのため、行に入る前に「生き葬式」を行い、縁のある人たちと最後の食事を共にし、今生の別れを告げます。
そしてお堂に入ると門が閉められ、生きて帰らなければ再び門が開けられることはないという行です。行に入ると、食べず、飲まず、寝ず、横にならずの状態で、本尊様の前で読経するほか、不動明王のご真言を10万遍、蔵王権現のご真言を10万遍唱え続けます。
3日目に入ると死臭が漂いはじめます。5日目からは1日1回のうがいが許されます。同じ大きさの天目茶碗が2個用意され、一つにはなみなみと水が注がれていますが、もう片方は空の状態です。注がれた方の茶碗の水を口に含み、うがいをして空の茶碗に吐き出します。その際、空の茶碗に最初と同じ量の水が入っていないと、その行は失敗とみなされ、そこで終わってしまいます。
体重は毎日1キロずつ減り、脈拍は座っているだけでも90を超え、少し歩くだけで120になり、動悸が激しくなります。10日間行を行うと死に至るということで、1日前の9日間にしているそうです。こんな極限の状態の中で、この四無行をやり遂げています。
「八千枚護摩供」とは、100日間五穀(米、大麦、小麦、小豆、大豆)と塩を絶つ行であり、その前行の後、24時間、食べず、飲まず、寝ず、横にならずで八千枚の護摩を焚き続ける行です。生きるうえで必要なものを絶った行をやり遂げています。
肚に落ちる言葉
この住職は生きるか死ぬかの瀬戸際を歩いてきた方です。例を挙げると、大峯千日回峰行の途中、栄養失調状態の中で熱が出て、関節も動かず、山中で躓いて倒れてしまいます。そのとき地面に頭を打ち付けますが、全く痛みがなく、逆に何かフワッとしたもので包まれたような心地よい心境になったと言っています。
そこで「あ~、これで死ぬのかな。」という思いに至ったとき、ふと19歳で出家した日の朝を思い出します。母親がつくってくれたご飯とみそ汁をいただいた後、母親から「苦しくても砂をかむような気持で頑張ってきなさい。」と言われたことが頭をよぎります。
そこで「そうだ、自分はまだ砂をかむような苦労はしていない。」と思い、「こんなことをしてはおれん。」と猛烈な情熱が湧いてきて、再び歩き出します。体はぼろぼろでも不思議と気力で動けるのだと話されていました。
私も長い人生いろいろな経験をしてきました。それに以前の職場(警察)では人を相手にした仕事をしてきましたので、いろいろな人に出会い、いろいろな経験をしてきた人も見てきました。
しかし、この住職ように生死を分ける苦行に自ら飛び込んだというような人に出会ったことはありません。瞬く間にこの住職の生き方に感動を覚え、また前向きな姿勢に感銘を受けてしまいました。
画面を通じて見るこの住職の表情は、すごく穏やかで、柔らかく、暖かみを醸し出していました。何度も生きるか死ぬかの瀬戸際を歩いてきた方の行きつく先を見たような気がします。とても凡人には出せない表情です。何かを極めた人は本当にやさしさに溢れています。
この方が話される人生観はとても心に響きます。生死を分けるような体験をされた方の言葉は重みが違います。決して難しい言葉を使うわけでもなく、訥々と話されていますが、肚に落ちる言葉とはこういうものをいうのだとつくづく感じます。