• 主に長崎県、佐賀県を中心に元刑事のキャリアを活かし行政書士&災害危機管理に取り組んでいます。

3月の思い出

卒業シーズンが始まり、別れと出会いの3月に入った。各企業、行政機関等の異動の時期でもあり、何かと忙しい月である。県警を退職し、私にとって、異動が他人事となってしまったとは言え、この時期になると、今でも思い出すことがある。

若い頃、県北の離島にある駐在所に勤務したことがある。今ではトラスト橋が架かっているが、当時の行き来はフェリーだった。長女が誕生して半年でその島に赴任し、そこで3年間勤務した。次女もその島で生まれている。

島の人々は気さくで親しみやすい方ばかりだったから、家族ともどもすぐに打ち解けた。長女は、その島の3年間で、ハイハイを覚え、独り立ちし、走り回るまでに成長した。それを手助けしてくれたのも近所の方々である。

近くにシニア女性がいた。酒屋を経営するその方は、長女から「ばぁば」と呼ばれていた。そのばぁばは、長女がハイハイするときからよく可愛がってくれた。歩けるようになってからは、朝、駐在所まで長女を迎えに来て、一日中酒屋で面倒を見てくれた。酒の配達にも連れて行き、長女は酒屋のマドンナになっていた。

当時の駐在所では、私が巡回連絡や警らで留守にするときは、代わりに家内が来訪者等の応対や事件・事故の受理をし、仕事を支えてくれていた。だから、ばぁばが長女の面倒を見てくれたことは大変有難いことだった。

3年間の勤務を終え、次の赴任地に向け、島を離れる日がやって来た。長女は3歳を過ぎていた。フェリーの桟橋には、多くの島の人々が見送りに来てくれた。色とりどりの紙テープを握り、デッキの上から一人一人に「ありがとう」を連呼した。その中にばぁばの姿はなかった。「どうしたんだろう。用事でもあったのか」と思っていると、電柱の陰に隠れ、チラチラとこちらを伺う人物が目に止まった。

フェリーから「蛍の光」が流れ、汽笛が鳴り出した。そのとき、その人が桟橋に向かって走ってきた。ばぁばだった。「〇〇(長女の名前)、行くな、行くな」とばぁばが叫んでいた。その声を聞いた長女が「ばぁば、ばぁば」と叫んで泣き出した。私も家内も必死に涙をこらえ、その光景をまともに見ることができなかった。こうして、ばぁばと長女の叫び声は、船の汽笛とともに遠くの彼方に消えていった。

当時の光景を思い出すと、今でもグッとくるものがある。いい歳になった長女は、今でも年老いたばぁあと連絡をとり合っている。遠い3月の思い出である。

 

 

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