• 主に長崎県、佐賀県を中心に元刑事のキャリアを活かし行政書士&災害危機管理に取り組んでいます。

太公望

私が毎週楽しみにしているのが金曜日の朝刊(長崎新聞)である。その理由は、釣りコーナーがあるからだ。県内各地の釣果が紹介されており、釣り好きの私が真っ先に開く紙面でもある。今日(1月19日)の朝刊にも、「大物ヒット」という見出しで、80センチ級の真鯛やブリの写真が太公望とともに紹介されていた。

ところで、太公望が釣った魚を写真に収める場合、必ずと言っていいほど手を伸ばして写っている。私自身もそうだが、遠近感を利用している。なるべく魚を大きく見せたい、それにほかならないと言っていい。よく逃がした魚は大きかったというが、それも太公望が見栄を張りたいからだろう。

さて、なぜ太公望というのが釣り人を指す言葉なのだろうか。ネットで調べたところ、紀元前11世紀頃の中国まで遡る。西周の領主であった「姫昌」が、川で釣り糸を垂らしていた「呂尚」という男に声をかけ、話しているうちに、この男が太公(姫昌の父)が求めていた大物に間違いないと認め、大臣に引き立てたという。

それから呂尚のことを「太公望」と呼ぶようになるが、要するに「太公」が望んでいた人物だというのがその呼び名の由来である。この出来事から、太公望=釣り人というイメージがつくられていったという。

また、呂尚は姫昌に見出されるまでは貧乏暮らしをしていたという。妻には愛想をつかれ、離縁している。それでも呂尚は、そのチャンスが到来するまで待ち続け、釣りをしていた呂尚が、何が釣れますか問われると、「ワシはそこらへんの雑魚は相手にしておらん。天下を釣っておるのだ」と答えたというから面白い。

このエピソードから、呂尚が大きなことを望んでいたのが垣間見られる。ということは、現代の太公望が、魚を少しでも大きく見せたいのは、どうもここに原点があるような気がしてならない。

 

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