今朝の悲しいウォーキング
私は今でも早朝ウォーキングを日課としています。基本的には雨以外は休まないようにしています。
そのため天候を気にするようになり、就寝する前には翌朝の天気予報をネットで検索するようになりました。昨晩も確認したところ、今朝(12月3日)のウォーキングの時間帯は曇りの予報でした。
自宅を午前5時30分に出発したのですが、そのとき空を見上げると、暗くてよくわからなかったところもあるのですが、薄曇りのように見受けられましたので、「雨は大丈夫だな♥」と思ったのです。
ところが、歩き始めて10分位経った頃、雨が降り始めました。小雨だった雨も次第に本降りになっていき、それと同時にウエアーも濡れ、手袋は冷たくなり、帽子のつばからは雨が滴り落ちてきました。
「おい、おい、天気予報は曇りやったろう?」と愚痴をこぼしながら、雨男の運命を呪わずにはいられませんでした。
雨は一向に止まず、そのため帽子や手袋、ウエアーには徐々に雨が浸透してきましたが、幸いにも運動靴の中に雨が浸透しなかったのがせめてもの救いでした。
靴の中に水が浸透すれば、乾かすのも大変ですから、何とか靴の中に水が浸透しないうちに自宅にたどり着くことだけを願っていました。
あと10分ほどで自宅に着くというときでした。懐中電灯の明かりが雨を反射し、道路の状況がよくわからなくなっていました。「何とか靴だけはもってくれ」そんな思いで先を急いでいたとき、急に靴の中に冷たい水が入ってきたのです。そうです。水たまりに足を突っ込んだのです。
自宅に着いたときは、全て濡れてしまい、もう、踏んだり蹴ったりの状態でした。
今朝のウォーキングを振り返ると、まず、天気予報は曇りの予報で、雨が降ることなど予想もしていなかったのに雨が降ったこと。
次に雨が降ったことは致し方ないにしろ、それが小雨であれば大した影響もなかったのに、それが本降りになったこと。
そして靴だけは中まで雨を浸透させないように気を配っていたのに、水たまりの中に足を突っ込み、濡らしてしまったこと。
最後に一番情けなかったことは、自宅に着いた途端、小雨になり、雨が止んだこと。
これだけ雨が降るとわかっていれば、今朝のウォーキングは当然中止していたはずです。曇りという予報を信じてウォーキングに出発し、それが悪い方、悪い方へと流れていきました。
「今日はとことんツイていない」そう思ってしまいました。
雨男でもいいか
自宅に着き、インターネットで再度天気予報を確認すると、雨マークが出ていました。出発する前に確認したときは曇りマークだったのに、何を今さらと思わずにはいられませんでした。
雨が降ったから雨マークを出したのか? これでは予報ではなく結果じゃないか、そんな憤りがついつい湧いてしまったのです。
怒りはさておき、今でも雨男だということを自覚しています。今朝、自宅に帰り着くなり雨が止んだのを見れば、やっぱりそうかという感を持ってしまいます。
自分の人生を振り返れば、節目節目の大事なときは雨が降っていたような記憶があります。
一番印象に残っているのは、30年ほど前、公舎から民間アパートに引っ越したことがあったのですが、前日までは天気も良かったのに、引っ越し当日は土砂降りでした。
延期することができませんでしたので、引っ越しを決行したのですが、それはもう大変でした。家具も寝具もずぶ濡れです。そのときほどお天道様を恨んだことはありません。
旅行をするときも、大抵が雨だったような記憶があります。長崎大水害のときも、当日は友人らと旅行に行く計画を立てていたのですが、それどころではなくなりました。
干ばつが続く地域があれば雨乞をしてやるのに、そんな冗談が出るくらい、雨男を自負してきましたが、もうそろそろ雨男を卒業したいとは思っています。
しかし、これは自分でどうにかできるものでもありません。それに歳を重ねていくうち、雨男でもいいかという気持ちになっていきます。
老化していく乾燥肌に雨が浸み込んで潤いを持てば、若返りできるんじゃないか、それは雨男の特権ではないか、荒唐無稽ではあるが、今朝の出来事からそんな夢物語をつい想像してしまいました。