• 主に長崎県、佐賀県を中心に元刑事のキャリアを活かし行政書士&災害危機管理に取り組んでいます。

地域防災力充実強化大会を聴講して感じたこと

地域防災力充実強化大会とは

昨日(11月20日)、島原復興アリーナにおいて「地域防災力充実強化大会in長崎2021」が開催され、それを聴講しました。

聴講したのは、「雲仙普賢岳噴火災害から30年、地域防災について考えてみませんか?」という新聞広告が目に止まり、防災危機管理に関する業務も行っている者として、また雲仙普賢岳噴火災害に携わった者として、興味を注がれたというわけです。

この大会そのものは、総務省消防庁が主催し、6年前からから毎年全国各地で開催されているようです。

配布されたパンフレットを見ると、開催趣旨というのは、平成25年12月の「消防団を中核とした地域防災力の充実強化に関する法律」の制定により、消防団が地域防災力の中核として欠くことのできない存在として位置づけられ、そうした消防団と自主防災組織との連携強化を推進すため、各地の活動事例などを紹介し、地域防災力の向上を図ることを目的としているということでした。

難しい用語が並びましたが、要は、災害から身を守るためには地域の人たちが力を合わせることが大切だということを大会を通じて訴えているのだと思います。

大会は来賓挨拶後、基調講演、事例発表、パネルディスカッションの3部構成で進行したわけですが、基調講演、事例発表は、本県の対岸で発生した熊本地震と豪雨災害に関するものでした。

基調講演は熊本大学名誉教授、事例発表は球磨村防災管理官がそれぞれ講演したのですが、この方たちに決していちゃもんをつけているわけではないのですが、心に響かなかったというか、「ん?」と違和感を感じてしまうことがあったのです。

「人のふり見て我がふり直せ」というわけではありませんが、人の講演を聞いてみて、災害について人前で話す機会がある私には、逆に自分を見つめるいい機会になったし、勉強にもなったということです。

人に伝えること・言葉の重み

私は、言葉には「重さ」と「軽さ」があると思っています。人の心に響く言葉は重みのある言葉だと信じています。

その違いはどこにあるのか、それは以前から思っていたことですが、話す人が自ら体験したことなのか、体験していないことなのか、そこに違いがあるような気がしています。

もし、重要なことを相手に伝えようとするならば、相手の心に響かせることが大切です。人は心に響くからこそ、反省したり、前向きになったり、悔い改めたりと、変化が起こり得るものだと思っています。

言葉で心を響かせると言っても、言うは易し、行いは難しですが、饒舌な人が人から聞いた内容を話すよりも、朴訥な人が自ら経験したことを話す方が、聞く側からすれば、断然心に響きます。

熊本大学名誉教授の基調講演を聞きながら、ついそのことを考えていました。自然災害の調査・研究をされてきた方ですが、昨日の講演は、「自然災害のリスクを知り、みんなで守る命」と題して話されていました。

各種災害を研究してきた第一人者と思いますから、おこがましいことを重々承知の上、批判覚悟で敢えて言いますが、その話している内容が全く心に響きませんでした。まるで災害に関する本を読み聞かせてもらっているような感じでした。

その話を聞きながら、昨年、球磨村の被災調査に赴いた際、入所高齢者が犠牲となった特別養護老人ホームにおいて、救助活動に当たった地元の方の有益な話が脳裏に浮かんできたのです。

その方は、どんどん水かさが増していく中で、必死になって救助活動に当たった話をしてくれました。最後は自らも命を落とすことを覚悟したという壮絶な経験をされ、その方の話す言葉一つ一つが心に沁み、涙してしまいました。

最後にその方が「自然をなめたら絶対にいかん。早く非難せんといかんことがようわかった」としみじみと語ってくれたのをはっきり覚えています。

もし、災害から命を守るために早めの避難と地域の助け合いが大切であることを伝えたいならば、災害統計の話とか国交省がつくったハザードマップを活用する話も大切だとは思いますが、心に響かせる内容を聞かせることだと思います。

私には、その方の話が頭の中というより、心の中にいつまでも残っているのです。

災害対応では想定外は禁句

球磨村の防災管理官をされている方は、球磨村の豪雨災害対応について話されました。刻々と変化していく気象の中で、避難の勧告や指示の発令、自衛隊への応援要請、救助活動、被災後の対応等々、時系列を用いながら、行政(球磨村)としては災害対応に必死に取り組んだというものでした。

その方は、線状降水帯のことにも触れ、このような災害をもたらすとは想定外だった、誰がこのような災害を予想できただろうかということを話されました。想定外という言葉を何回か使われのです。

このとき私は、「ん?」と違和感を感じてしまいました。これが防災を担当する責任者の言葉だろうかと疑ってしまったのです。

東日本大震災では、よく「想定外」という言葉が使われていました。1000年に一度の大地震と言われ、ハザードマップには示されていない奥地まで津波が到達し、多数の犠牲者が出たわけですが、そこまで津波が到達することなど、専門家でも予想できなかったのだろうと思います。

この震災では多くの民事裁判が起こされました。大川小学校の多数の児童が避難中に津波に吞み込まれ、犠牲になった事例、通園バスが津波に呑み込まれ、園児が犠牲になった事例、屋上に避難した銀行員が津波に呑み込まれて犠牲になった事例等々、遺族から多くの裁判が起こされたのですが、その中には想定外を覆し、責任者に安全配慮義務違反、不法行為責任を認めた判決もあるのです。

このように東日本大震災でさえ、想定外ではなく、予見可能性があったということを示した裁判例もありますから、今後、もし南海トラフ地震が発生し、犠牲者が出た場合、私たちは既に東日本大震災を見聞きし、既に知識を得ているわけですから、想定外だということは通じないということになります。

いつ、どこで発生するかわからない地震でさえ、想定外という言葉が通じなくなるわけですから、いろいろな情報に接する機会が多い大雨に関しては、極端に言えば論外だということになるのです。

線状降水帯という言葉は、近年知られるようになりましたが、昭和32年に発生した諫早大水害は典型的な線状降水帯がもたらしたものです。そのときは熊本県でも犠牲者が出ています。

豪雨災害は毎年のように全国各地で発生し、その度に多くの犠牲者が出ています。一つ一つを調べると、集中豪雨によって川が氾濫した事例が数多くあります。

防災管理官の方は、命を育む球磨川ではあるが、過去に災害をもたらした川でもあり、そのため防災にも力を入れてきたと話されていました。

球磨村としては災害対応に最善を尽くしたということでしたが、それはそのとおりだと思っています。

ただ、球磨川があのように氾濫することが想定外であり、誰が予想できただろうかと話したときは、悪い言い方をすれば、責任逃れにしか聞こえませんでした。

気象予報に関しては、気象庁を始め、あらあゆる機関、SNS等を通じて情報が入りますし、肉眼でも確認できます。地震のようにいつ起こるかわからない災害とは違うのです。

インタビューを受けた高齢の方が「今まで生きてきてこんな大雨は初めて経験した」などと答える姿をよく目にしますが、だからと言って、災害が発生する地域ではなかったとは言えないのです。

地球の歴史と比較すると人間の歴史など針でつついたような短さです。災害に関しては、100年や200年あるいは500年前には発生していた可能性だってあるのです。

現代人が自分の人生の中では経験しなかったとしても、過去のことを知らないだけかもしれません。だから、災害はいつ、どこで発生するかわからないということになるのです。

ましてや行政に携わる方は、全国の事例に学び、そしていろいろな可能性、しかも最悪の事態を想定し、災害対応にあたるべきで、想定外という言葉を使ってはいけないのです。

 

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