神社の感染対策
新年(令和3年)を迎え、例年どおり元日に近くの神社に初詣に行きました。今年はこれまでとは違い、神社側も新型コロナウイルス感染防止のため、あの手この手の対策を講じていました。
いくつか挙げてみますと、まず密を避けるために分散型を呼びかけていましたから、参拝客が極端に少なかった点が挙げられます。例年ならば駐車の順番待ちをしなければならないところでしたが、今年は駐車スペースに余裕がありました。
境内に入ると、参拝するまでに行っていた作法も随分簡素化されていました。まず手水舎が閉鎖されており、そのかわり水道水で手を清めるようになっていました。それが終わると消毒液が用意されており、またマスクを忘れた人には神社がその準備もしていました。
社殿前に行くと、鈴を鳴らすための鈴緒が取り外されており、賽銭箱にコインが落ちる音と柏手を打つ音しか聞こえず、静かな光景でした。参拝を終えると、いつもならばお神酒が振る舞われていたのですが、その振る舞いもなく、全てにおいて人々の手指の接触を避けるための対策がとられていたのです。
何だかな
初詣は、神様に1年間無事に過ごせた感謝と今年の幸せを願って行う行事ですから、身も心も祓い清め、参拝者を敬虔な気持ちにさせるための作法があります。それがいくらコロナ対策とはいえ、御手水の代わりに水道水で清め、神霊の発動を促す鈴の音もないとなれば、味気ない初詣だったと思わずにはいられませんでした。
こんな簡素化した参拝で願い事が叶うのかなとつい疑ってしまう自分がいました。昨年はコロナの影響をもろに受け、今年こそはと願う気持ちも大きかっただけに、簡素化された作法を見ると、「なんだかな~」という気持ちになったのは私だけではなかったと思います。
ついつい神様もコロナには勝てないのかなと愚痴をこぼしたくなる気分でした。おみくじを引きましたが、その結果が「大吉」ならば少しは気分も晴れたのでしょうが、それも「小吉」であったため、なおさらもやもやした気分になってしまいました。
運を呼び込むのは自分自身
初詣の願い事は人それぞれでしょう。神様に無病息災や平安無事を祈るのですが、誰もが神様がその願いを叶えてくれることを信じているわけではありません。中には神にもすがる気持ちでお願いする人もいるでしょうが、初詣に行き、社殿の前で手を合わせるのは日本人が持つ謙虚な気持ちの現れだと思っています。
本当は自分自身が努力しなければその願いが叶わないことは知っています。何もせずにその願いが転がり込んでくるとは思っていません。運を呼び込むのは自分自身なのです。
おそらく、参拝の際は「家族が健康で幸せにいられますように」「仕事がうまくいきますように」「彼女・彼氏ができますように」・・・等々、神様に授けていただきたい願い事をしているのではないでしょうか。
本来ならば「今年はこういうことに一生懸命取り組み、こういう結果を出したいと思いますので、神様どうぞ見守っていてください。」というような自力念仏のような願いの仕方があってもいいと思います。