「ひな祭り無事に生まれた男の子」
昨日(3月3日)、次女が男の子を出産した。次女にとっては初産で、しかも帝王切開による出産であったが、その手術が予定日より早まり、皮肉にも冒頭の拙句のように「ひな祭りの日」に生まれたというわけである。何はともあれ、手術が終わり、母子の元気な姿を見たときは胸をなでおろした。
今回、とり上げたいのは何も次女の出産ではない。産婦人科医の不足による医療体制に危機を感じているからだ。次女が入院したのは総合病院の東病棟にある大部屋であるが、同棟には産科と婦人科の患者が混在している。
振り返ると、長女、次女、長男のそれぞれ出生地は異なるが、当時は、県内どこの勤務地にも個人の産婦人科医院は存在していた。転勤族であったが、勤務地で出産しようが、実家に帰省して出産しようが、選択肢に限りはなかった。あれから30数年が経過し、その様相は一変している。
産婦人科医が20年前から漸減傾向が続いている上、お産を伴わない婦人科医師数が増え、産科医師の数が減っているという。地域から個人医院の姿が消え、総合病院に統合されている。果たして産婦人科医師が減少した理由は何なのだろうか。もちろん、少子化の影響もあるだろうが、ある文献によると、①産婦人科医を選択する医学部生、研修医が少ない。②経験豊富な産婦人科医が産科の現場から立ち去った。③女性医師が増加しているにもかかわらず、その就労環境が整っていないため、十分に活躍できない。の3点が挙げられている。
最も危惧されるのは、①の医学部生が産婦人科を選ばない問題だろう。その理由は、周産期医療が当直や拘束の回数が多く、激務であること、また訴訟のリスクが高いことが要因だと言われている。そこには自己犠牲の精神はなく、ライフスタイルに重きを置いている証だろう。
この危惧は何も産婦人科ばかりではない。建設業界や介護業界など、社会のあらゆる分野にも当てはまりはしないか。私の古巣の警察にしても、刑事を目指す若者が減っているという。理由は様々だろうが、自己犠牲の精神が乏しくなったのが挙げられる。昔を美化するわけではないが、私の時代では刑事は憧れの仕事だった。寝食を忘れて奔走し、事件解決に至ったときは嬉しかったし、被害者から礼を言われたときは感動した。そこにやりがいの原点があった。
働き方改革が叫ばれ、仕事のやり方が個々のライフスタイルに合わせた形へと変貌している。時代の流れとは言え、それで済ませていいものかと、つい思ってしまう。災害が発生し、全国からボランティアが集まるのを見ると、わが国はまだまだすてたものじゃない。特に人の生命や身体の安全に係わる仕事に関しては、リスクを回避しようとする考えではなく、世のため、人のためにという崇高な精神を持った若者が出てくるのを願っている。行き過ぎた働き方改革には不安しかない。