先週の日曜、2歳5か月の孫(女の子)を預かることになった。息子夫婦とも間近に迫った職場の昇任試験に集中するために図書館に籠るという。久しぶりの快晴、孫を外で遊ばせるには絶好の機会だが、年端も行かない孫が両親を恋しがらないか、じぃじ・ばぁばと遊ぶことにすぐに飽きがこないか、そんな心配を抱きながら、果たして、どこに連れて行けばいいものか、家内と暫し思案した挙句、地元の「野岳湖公園」に決めた。
孫を遊ばせるには安全な場所に限る。ボール遊びもできるし、シャボン玉を追い掛け回すにも十分な広さがある。野岳湖公園に決めたのはそんな理由だ。野岳湖に着き、手押し式自転車に孫を乗せ、遊び場を散策していると、目の前に石畳の円形広場が見えてきた。まるでローマにあるコロセウムのようだ。
とりあえずそこに腰を下ろし、孫とどんな遊びをしようかと思いを巡らせていたときだった。広場の石垣の上から勢いよく噴水が飛び出してきた。その水が石垣を伝って石畳に落ちていき、乾いた石畳を水が覆っていった。野岳湖には何回か来たことはあったが、こんな噴水広場があることも知らず、新たな発見だ。「休みの日には噴水が30分おきに出るらしいよ」との家内の豆知識に「へぇ~」と驚くばかりだが、どうやらその休日の噴水に遭遇したということらしい。
さて、孫はこの噴水にどう反応するだろうか、と思いきや、なんと靴のまま石畳の水の中に足を踏み出そうとしているではないか。「ちょっと待て!」すぐに孫を引き止め、水から離そうとしたが、水の中に入りたいという意思を体で表現している。孫をどうやって遊ばせようかーそんな迷いが吹き飛んだ。噴水広場、絶好の遊び場ではないか。孫を裸足にさせ、ズボンのすそをまくり上げ、水が張った中に入れてやると、パチャ、パチャと水の中を歩き回っている。水が跳ねる音と調和して孫の心も弾んでいるようだ。
水と戯れている孫の姿が微笑ましい。そこで一緒に水遊びに付き合ってやることにした。石垣を伝う水を手で掬ったり、足元の水を蹴ったり、孫もその動作を真似している。年端も行かない孫と60代の爺が同じ水遊びに興じているー童心に返るとはまさしくこのことだ。
孫を自由にさせていると、滴り落ちる水滴に頭を近づけて髪の毛を濡らしてしているではないか。洋服まで濡れている。それでも孫はへっちゃらだ。水から上がるよう促しても嫌だと主張している。「楽しいね♥」この孫の言葉が心に響く。髪の毛が濡れたっていいじゃないか、洋服が濡れたっていいじゃないか、孫からそう教えられたような気がする。大人の論理を子供に押し付けないと決めた。「自由に遊べ」心に中でそうつぶやき、後は見守ることにした。
水遊びに満足した孫が上がってきた。と同時に勢いよく飛び出していた噴水もぴたりと止まった。きっかり30分、孫を楽しませてくれるには十分な時間だった。さっそく家内が着替えをさせていると、「お水、楽しいね♥」と喜びを表現する孫。その目はキラキラしている。「今度、また来ようね」と尋ねたばぁばに、満面の笑みで「うん」と答えている。
これまでの孫へのプレゼントは遊具類が定番だった。それが一番喜ぶだろうと思っていた。ところが、そうでないことを実感した。水遊びの後、野岳湖橋を渡っているときだった。孫が湖面を見て、「キラキラしている」とつぶやいたのだ。まさしく、これが子どもの感性というものだろう。孫が水遊びに夢中になったのも、水に触れることに喜びを感じていたからだ。今回、野岳湖で勉強になったのは、子どもと遊ぶのは何も遊具だけではないということ。感性を磨くためには感覚遊びが大切だということだ。