ミツバチの分蜂
このホームページの自己紹介にもあるように、私の趣味の一つに養蜂があります。3年前に友人と飲む機会があり、そのとき友人が話してくれた養蜂の話題に興味を持ち、その友人からニホンミツバチを分けてもらったのがきっかけでした。
養蜂といってもあくまでも素人の域ですから、蜂の生態に精通しているというわけではありません。そのため、飼育を始めてから1年余りで病気や害虫などによって全滅させてしまいました。つくづく生物を飼うことの難しさを痛感しています。
今の季節はニホンミツバチの分蜂の時期です。分蜂というのは3月下旬から5月にかけ、ミツバチたちが今までいた巣を離れ、新しい巣に引っ越しをすることです。いわゆる巣離れです。
ミツバチの巣は、1匹の女王バチと大集団の働きバチ(複数のオスバチもいる)から成り立っています。この時期になると女王バチが新たな女王バチを生むため、古い女王バチ(母親)が働きバチを連れて巣を出て行くことになります。
木の枝や軒先などに黒い塊となって止まっているのを見かけた方もいるかと思いますが、それが分蜂した蜂の集団です。一旦巣箱を出ると木の枝などに暫く止まり、それから新たな巣を見つけてそこに引っ越していくというわけです。
この時期になると、一つの巣箱でこの分蜂が3~4回繰り返されます。養蜂をされている方は、この時期になるとあらかじめ新しい巣箱を用意しておき、分蜂して木の枝などに固まっている蜂たちを捕まえ、それを新しい巣箱に入れてやるのです。こうしてミツバチたちを増やしていくわけです。
ミツバチが棲む巣箱が増えていけば、それだけ採蜜量が増えることになるため、分蜂したミツバチたちを捕まえることができるかどうかが一つのポイントになります。巣箱を離れてどこに飛んでいったかわからない場合もあるし、高い木の枝に止まって捕獲できない場合だってあります。
種の本能なのか
先週、友人から分蜂が始まったという知らせを受け、その捕獲の手伝いに行ってきました。そこで驚くべき光景を目の当たりにしたのです。その友人はこれまで何年も分蜂を見てきていますが、そんな友人でさえ初めて見る光景だということでした。
ある巣箱から分蜂したミツバチたちが一旦木の枝に止まったのですが、その塊が高くて細い枝でしたので捕獲が困難な状態でした。どうやって捕獲するか思案しているうち、その蜂たちが再度飛び立っていきましたので、捕獲をあきらめるしかありませんでした。
ところが、その集団はある巣箱の上空を旋回しながら、段々とその巣箱に近づいていき、遂にはその巣箱に次から次へと入っていったのです。もちろんその巣箱には他のミツバチの集団がいます。
暫くその様子を眺めていると、以前からいるミツバチたちを数匹がかりで殺していき、それに以前の幼虫を巣の外に捨て始めたのです。いわゆる巣の乗っ取りです。
ニホンミツバチという同じ種族でありながら、家族(集団)が違えば殺し合う、しかもその子孫まで滅ぼしてしまう姿をまざまざと見せつけられ、これが種の本能なのかと生き物の世界の厳しさを思い知らされたというわけです。
戦国時代に戦に勝利した武将が前の天下人の家系を根こそぎ絶やしたということが人間の世界でもありましたが、それはその時代のほんの一例であり、そもそも人間の世界では考えられないことです。
家族を守る動物たち
ミツバチたちは女王バチを頂点として一つの家族(集団)を形成しています。巣の乗っ取りは、ある意味残酷のようにも見えますが、家族を守る、子孫を残すための戦いだともとれます。
これは他の動物たちにも見られる光景です。主のオスが外部からその家族を乗っ取りにやってきた別のオスと戦いを繰り広げることがあります。主のオスが勝てば自分の家族を守れるし、負ければ子孫はついえてしまいます。いわば家族の生き残りをかけた戦いになるわけです。
このような戦いは動物の世界では当たり前のように繰り広げられていることを思えば、人間が自分の子供を虐待したり、保護する責任を放棄したり、炎天下の車内に放置したりして死亡させることは許されない行為なのです。
本来ならば自分の子供を守るために戦うべきなのに、逆のことをしているのであれば本末転倒です。動物界の掟に反する行為なのです。ミツバチたちの巣の乗っ取りを見て、ふと人間のエゴイズムを感じてしまいました。
ちなみに友人から分蜂したミツバチを分けてもらい、今年も養蜂を再開しましたが、これからはミツバチを絶滅させないために私が闘う番です。