• 主に長崎、佐賀県を中心に元刑事のキャリアを活かし行政書士&災害危機管理に取り組んでいます。

命がけの救助活動

特別養護老人ホームの浸水被災

令和2年7月4日未明から朝方にかけ、熊本県南部に局地的に猛烈な雨が降り、球磨川やその支流で氾濫が生じ、その氾濫流によって建物・橋梁の破壊や流出、浸水被害などの大きな災害が発生しました。

この豪雨により、球磨村渡地区にある特別養護老人ホーム「A園」にも球磨川支流(小川)の氾濫流が押し寄せ、入所者14名が濁流にのみ込まれて死亡しました。

私は、令和2年9月30日、このA園の被災状況を調査するために現地に入り、当時救助活動に尽力されたS・Oさんから壮絶な体験談を伺いましたが、今後の高齢者福祉施設の災害対策にとって示唆に富むものばかりでしたので、ここに紹介したいと思います。

降雨状況と避難の呼びかけ

球磨村では被災の前日から雨が降り続いており、7月3日午後5時、「避難準備・高齢者等避難開始情報」を発令しました。

同日午後9時39分、気象庁から大雨警報が発表され、その後午後10時20分、土砂災害警戒情報が発表されたため、同時刻「避難勧告」を発令、翌4日午前3時30分には球磨川の氾濫危険水位を超えたため、避難指示を発令しました。

4日午前4時50分、気象庁から大雨特別警報が発表され、その後朝方になり、本流の球磨川から支流の小川に逆流して小川も氾濫、その氾濫水がA園に押し寄せたものです。

このように大雨に関する気象庁の発表とともに、球磨村では段階的に避難のランクを上げていき、防災無線でもその度に住民に避難を呼びかけていました。

壮絶な救助活動

S・Oさんは、自宅はA園の近くにありますが、村会議員もされており、それにA園の避難協力会のリーダーもされている方です。

7月4日午前1時頃、災害警戒のために見回りをしていた際、内水を汲み上げるポンプから球磨川に排水されているのを目撃し、普段はこのような光景を見ることがないため、胸騒ぎがしたそうです。

その後一旦帰宅しましたが、防災無線で「川の近くにいる人は高台に避難してください。」と呼びかけていたため、午前5時頃、再度見回りをすると、氾濫水が地区に流れ込んでいるのを目撃、これは危ないと思い、「逃げろ。逃げろ」と高台の公民館に避難するよう、住民に呼びかけて回りました。

午前5時30分頃、A園も危ないのではないかと危惧し、協力会のメンバーとともに同園に行ってみることにしました。A園は2階には会議室があり、入所者約70名は全て1階の居室で生活を送っていました。

S・Oさんが同園に赴いたときは、既に入所者は1か所に集められていました。そのときは駐車場にはまだ冠水はしていませんでしたが、その約10分後には冠水が始まったため、入所者を2階に垂直避難させることにしました。

後から駆け付けた協力会の応援も受け、4人1組になって車イス(前後に2人ずつ)ごと2階に搬送することにしましたが、階段が狭いために1人ずつを順番に移動させ、それに寝たきりの入所者は毛布を担架状にして移動させるなど、避難に時間を要していました。

1階に残っていた入所者が残り20数名になったとき、施設内にも水が入ってきました。そこで順番待ちの入所者を水に触れさせないよう、畳の部屋に移動させました。ところが、その部屋も水に浸かり始めたため、2階に移動させながら、同時に机を並べてその上に車いすごと押し上げ、一旦水から遠ざけました。

そうしたところ、施設のガラスが割れ、大きな音とともに一気に濁流が流れ込んできました。S・Oさんはその濁流によって中央の壁に押しつけられましたが、それはまるで津波のようだったということです

そして瞬く間に水位が上昇し、足も床につかなくなってしまいました。S・Oさんは浮いているものを掴みながら、近くにいる入所者をつかまえ、呼吸をさせるため顔を水面上に向けようと必死に頑張りました。

救助にあたった人たちは、2人1組になって入所者を助けようと必死になっていました。中には掴んだ手が離れ、そのまま沈んでいった入所者もいました。そのときは「ごめんね。ごめんね。」と謝るしかありませんでした。

S・Oさん自身も何度も水中に沈み、その度に「もうだめだ。」と死を覚悟しました。それでも必死になってソファーにつかまることができ、何とか持ちこたえることができました。

3時間位経った頃、救助に駆けつけた地域の人たちが、2階の窓を割ってロープを1階に投げ入れてくれました。ところがS・Oさんの居場所が死角になっていたため、ロープが見えない、見えたとしても手が届かないという状況が続きました。

何とか壁沿いを伝いながらブラインドの紐を掴み、ロープが届くところに近づけました。そして先に入所者を引き上げてもらい、最後になってS・Oさん自身も引き上げてもらいました。救助されたとき、S・Oさんは手も足も上がらないほど、疲労困憊・低体温の状態だったということです。

高齢者福祉施設の平素の訓練のあり方

今回の被災を顧みて、避難開始が遅れた点を含め、反省すべき点はいろいろあろうかと思いますが省略します。

ここでは、必死の救助活動にあたられたS・Oさんが、高齢者福祉施設における日頃の訓練のあり方についても話されましたが、示唆に富むものでしたので3点紹介します。

まず1点目は、訓練は通り一遍ではなく、現実味のある訓練が必要だということ。そのためには最悪を想定した訓練をすることが大切であるということでした。例えば、避難経路に障害物があって通れないことを設定し、それではどうするかを考え、どういう行動をとるか、臨機応変な対応力を養う必要があるということです。

2点目は入所者に声掛けをし、安心させる訓練も必要だということ。S・Oさん等は自らの命の危険もありなが、入所者を勇気づけるための声掛けを行っています。これが緊迫したときには大切だということでした。自らを奮い立たせるためにも効果があるとのことです。

3点目は施設を支援する民間協力が必要だということ。災害時には支援部隊である自衛隊や警察などは早急に駆けつけることはなかなかできません。命を救うためには早い段階での近隣の支援が必要です。

A園で救助活動が行われたのもS・Oさん等の協力会があったからです。ですから施設毎に支援する人たちの輪をつくっておくことです。そして平素の訓練にも支援者等を交えた訓練をすることが大切だということです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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